ぽこの母になるまで。

29歳。初産、妊娠5カ月で死産。 その後の記録です。 前を向いて、きっと私は強くなる。 仲良くしてください^ - ^

赤ちゃんの病名確定。

経腟エコーの結果

見えなかった脊髄の下の部分が見えたようで

赤ちゃんの病名が確定しました。

 

水頭症

脊髄髄膜瘤

キアリⅡ型

 

妊娠3週から作られる神経細胞が、うまく作られていないことが原因で

脊髄のおわりが外に飛び出してしまっている、二分脊椎の開放型 でした。

これによって、脳がひっぱられて、キアリⅡ型、水頭症が併発。

 

知的障害、排泄障害、呼吸障害、下半身麻痺…が考えられます。

重度なのか、軽度なのかは生まれてみないとわかりません

とのこと。

 

水頭症だけじゃなかったんだ…

確かに、赤ちゃんのエコー写真を見ると

頭がレモン型になっていました。

 

原因は、葉酸不足、遺伝、染色体異常、トキソプラズマなど…

葉酸不足って…私、栄養には気を使ってたんだけどな。。

妊娠がわかってから、サプリも飲んでたのにな…

 

トキソプラズマって…結婚式でミディアムレアのお肉を食べたからかな…

とぐるぐる…。。

 

S病院にくるまで、たくさん調べていた私は

病名も症状も今後も、想像することができました。

 

母と主人はこの日に、かなりショックを受けたようです。

 

先生からは

「週数も週数ですから、今後のことはお早めにお決め下さい」

とのこと。

ああ、産んでくださいって言わないんだ。

と思いました。

患者に寄り添う という診察ではなく

とても冷たい印象を受けました。

この時は、涙も出ませんでした。

 

診察室を出て、放心状態の母の車で駅まで送ってもらいました。

 

その日の夜、両家両親にも病名が確定したことを伝えました。

お義母さんの言葉が、私の心を紐解いてくれたのを覚えています。

「私は障害を持った沢山の子供たちをみてきたけど、きれいごとじゃすまされないのよ。子供の為に、親が壊れてしまう人たちもいるんだし、本当にきれいごとじゃすまされないの。」

悲しいけど、赤ちゃんはあきらめたほうがいいと。

 

赤ちゃんの時は手がかかっても、育てられるかもしれない。

でも、大きくなったとき、その障害を背負うのは

私達ではなく、その子なんだ。と私は思います。

 

重度の知的障害を患って、排せつも、歩行もままならなくなるかもしれない

呼吸障害があるかもしれない。

寝たきりかもしれない。

どんな子供でも産んであげることが、親の責任なのでしょうか。

何をもって、幸せというのでしょうか。

わが子だからこそ、少ない可能性を信じて、産んであげるべきなのでしょうか。

 

私も主人も、どんな子でも産むと決めて、妊活をしましたが

病名が確定した今、私は受け入れられませんでした。

S病院へ行くまでの10日間、沢山の人のブログや、医療文献をもう読むものがなくなる程読み漁り、色々なことを想定していました。

 

その上で、主人と沢山話し合いました。

沢山泣きました。

普段泣かない、主人の大泣きをみたのは、初めてでした。

主人は産んでほしいという気持ちは変わらない。と

でも、僕は今後のことを想像しきれていないと思うから

障害の重さを考えると、君の選択を尊重すると…

 

その日の夜は、主人と二人で美味しいパスタを食べに行きました。

改めて、この人と結婚してよかったと思いました。

ありのままの私を受け止め

寄り添い

一緒に罪を背負ってくれる人。

 

この人の涙なんてもう見たくない。

この人を父とする、子供はきっと幸せだろうな。

お父さんにしてあげたい。

と思いました。

 

この日は、胎児診療科の先生だけだったので

翌日、脳外科の先生の話を聞くことに。

 

同じ回答でした。

「生まれてみないと、わかりません」

何か聞きたいことはありますか??と何回か聞かれましたが

先生は疲れているのか…

足をくみながら、目をあまりみず…

 

私たちは疲れ果てていました。